おじ語り

思い立ったら色々書く。

大人の男は私服にジャケットを着こなす。

ジャケットをサラっと着れるのは大人じゃないか

皆さん普段どんな格好をされていますか。

昨日は成人の日だったということで、はてなブログの今週のお題が「大人になったなと感じるとき」ということです。

僕は30を超えたら、私服にジャケットを着るようになりまして、あぁ大人になったなぁと感じます。

もちろん以前からジャケットを着用することはありました。

でも若い頃はジャケットはビシッと格好つけたい時に着る服だったんですね。

例えばGoogleフォトに24歳の時にジャケットを着用し自撮りした写真が残っていました。

それがこちらです。

7年前

いや、キメすぎだろうよと。

我、時をかけるおっさんとなりて、この若造の頭をぶん殴りたい。

なんやねんその表情は。

いや、若いっていいですね。

このかつての僕の顔からわかるように、若者は完全にジャケットを勝負服だと考えている節があります。

おそらくこの時の僕だけじゃないことでしょう。違ったらごめんなさい。

でも気負わないと着れない服というのは、本当の意味では着こなせていないと言えるのではないでしょうか。

勝負服とかじゃなくて、自然体で着れてこそおじーはジャケットを身に着けたと言えるのです。

そして30歳の壁を超えた今、僕は何でもない日の普段着にジャケットを着られるようになっています。

こんな感じです。

今日のジャケット

我ながら凄く落ち着いたと思います。

しかも20代の頃は背伸びしてEDIFICEのジャケットを着用しているのに対して、今はユニクロのジャケットです。ニットもユニクロ。

でもユニクロの方がいい服に見えるのは、きっと気のせいじゃないはず。

これが身の丈に合ったものを着るという正解。

少年よ、大人は背伸びをしないんやで。

30代 なんでジャケパンスタイルを採用したか

そもそもなんでジャケットを私服にしようかと考えたのかというと、なんでなんでしょう。

多分年相応の服装を目指したんでしょうね。

小学生がいつか○○レンジャーの筆箱を卒業しなくてはならないように、ランニングシューズからライフスタイルシューズへと脱皮しなくていけないように。

その時々に合わせて装いも変えていかないとなというところでしょうか。

思い立って変えているという点では背伸びと言えなくもないですが、必要に迫られての変更ですから、またちょっと意味合いが違ってくると思います。

しかもジャケット着ているとちゃんとした人に見えるじゃないですか。

全然ちゃんとしてないんですけどね。

おしゃれを楽しむ人ってとにかく自分の好きな服をすごく上手に着ますけど、僕みたいにおしゃれじゃない奴は他人からの見られ方だけ気にしてれば間違いないと思うんですよ。

最低限の清潔感と最低限の統一感というか。

結局ね、大人かどうかなんてもんは自分が決めるんじゃなく周りが決めることじゃないでしょうか。

大人とは

子供から大人への変化って当然ですけど地続きのものじゃないですか。

子供だった自分がある日突然大人になるなんてことはないので、少しずつ少しずつ内面が変わっていくんだと思うんですけど、やっぱりその変化って外的要因で訪れるものですよね。

20歳を超えると酒を飲んで、選挙権に行くようになるのも国から許されることだし、仕事を始めたら税金を納めるようになるのも義務を果たさないといけないから。

その変化に1つ1つ対応していくことで周りから大人と認められるようになり、自覚も生まれてくるんではないのかなと。

それで働きたくないでござる!ニート王に俺はなる!なんて一般的に求められる役割に背を向けた人たちは、ちゃんとした大人とは認められなかったりするし。

年齢に応じて社会から求められる役割や振る舞いがどんどん変わっていきますが、その社会からの要請に対応していけるのが大人というところでしょうか!

大変ですけど、みんな応えてやってきています。

ピーターパンでいたい気持ちをいつかは捨てないといけないんですね。

僕は「そろそろジャケット着ろよな」という社会からの発信を勝手にキャッチしたので、ジャケットを着始めたということなのかもしれません。

どうです。これって大人ですか。

そして僕には見えます。

10年後、たかが30代前半で大人が何たるかを語る過去の自分に「まったく何もわかっとらんな」と赤面する未来が。

その黒歴史を受け入れることでまた1つ成長することでしょう。

なんかジャケットの話だけしようと思っていたのですが、話が変な方向に進んでしまいました。ごめんなさい。

おじーでした。

今週のお題「大人になったなと感じるとき」