おじ語り

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若く見られて喜ぶようになった悔しさ

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若作り=かっこ悪いという価値観

僕だけじゃないと思うんですよね。若作りってかっこ悪いよなと思っている層って。

これってなんでだろうって前に考えてみたんですよ。恐らくしがみついてる感がいけないんでしょうね。

もう戻ってこないものに縋りつく様って切ないじゃないですか。

別れた恋人が忘れられませんとか。お気に入りの物が壊れて毎日泣いていますとか。

しゃーないでしょ!なぁ未来見ようぜ未来!ってなるあれです。

もう戻ってこない若さを必死に取り戻そうとするのは無理だし無駄だと思うんですよね。ただでさえ今はムリ・ムダ・ムラを排除しないといけない時代ですから。

逆に子供たちが「早く大人になって、メジャーリーグで活躍したいです!」とか言ってるのはかっこいいじゃないですか。こういう未来に向けた夢や希望が社会に満ちあふれていて欲しいものですよ。

まぁ僕が「早くもっと大人になって、年金で生活したいです!」とか言ったらまたちょっと話が変わってくるんですけどね。それは逃げの姿勢だ。

そんなことを考えて長らく生活してきたんですけどね。最近僕の中で明らかな変化が生まれているんですよ。

「若く見えますよね」とか言われるとちょっと嬉しいんです。これは大問題。

渋いおじさんになりたかったはずなのに

おかしいんですよ。僕は渋いおじさんになりたいと思っていたはずなんです。

口を開いたと思ったら「風間公親だ」みたいに周囲を唸らせる一言を発するような白髪で威厳のある男になりたかったんです。仕事出来そうだし。

なのに実際に自分の頭に白髪が増えてきたらどうでしょう。ちょっと実年齢より若く見られたら心の中で「えっ!うふふ、、、そぉ?」とか思っているんですよ、どこが風間公親やねん、気持ち悪い。

でも思っちゃうものはどうしようもない。これからも僕は白髪の似合う男を目指すと口では言いますが、心の中にいる若さにしがみつく自分も認めてあげないといけません。たしかにそこには存在しているのだから。

仕方ないので、ちょっと自分に言い訳を用意してあげることにします。

エネルギッシュに見えるのも大事かなって…

老いー若いは、超単純に考えれば死ー誕生を結ぶ現在地みたいなもんじゃないですか。

一般的には若けりゃ肉体は元気だし、老いが進んだら肉体的には元気がなくなっていくと言っていいでしょう。

だからね、この「若いですね」で喜んでいる心は、自らの体の健康を喜んでいるということにしようかなと思います。

考えてみれば65歳くらいまで現役で働かないといけないわけですよ。円滑に仕事するためにも周囲に元気ないところを見せるわけにはいかんのです。息切れしてたら遠慮されちゃうからね。

だから「若いですね」って言われたら、「おうよ!元気があればなんでも出来る!」とか言っておもむろに反復横跳びを開始するようなオヤジになるのもありなんじゃないかという気も最近はしているんです。

白髪染め、アンチエイジングあたりに手を出さなければセーフ。時の流れに抗っているのではない。ただ俺は群を抜いてエネルギッシュなだけだみたいな。

というわけで、はてなブログの今週のお題が「変わった」ということだったんですが、最近若く見られると嬉しくなってしまって悔しい話でした。きっと共感してくれる人多数だと思います。

おじーでした。

今週のお題「変わった」