試験の思い出
はてなブログの今週のお題が『試験の思い出』。試験といっても色々とありますが、やっぱり思い浮かべるのは学力試験、学校での試験や入試ですかね。
僕は勉強がまったく出来ません。机に向かおうとする気力がこれっぽっちも湧かんのです。
社会人になっても、会社から簿記3級の資格を取れと言われました。ほんとに切羽詰まらないと勉強ができないもんだから試験前日にようやく徹夜で勉強し、短期記憶に必要な情報だけブチ込んでギリッギリ合格しました。これをやるとテストが終わった瞬間に記憶から抜けていくので何の意味もありません。
2級も取った方が良いぞと言われたこともありますが、範囲が拡がり難度が跳ね上がるため、一夜漬けじゃ100%太刀打ちできないので受けていません。
学生時代の中間テストや期末テストに至っては、日程が近づくと新しいゲームを購入し、漫喫するという異常行動を何度も繰り返していました。掃除しようとしたらマンガ読んじゃったくらいのテンションで勉強することを放棄していたのです。なんでこんなことしていたんだろう。
性格もあると思いますが、もう1つ、やっぱり勉強ってやらされ感があるから面白くない、全然やりたくならなかったんだと思います。
さぁ小学校だ!さぁ義務教育だぞ勉強だ!って言われても、遅かれ早かれなんでやねん!ってなりますよ。小1の授業はひらがなや足し算を教えるよりも先に『学ぶ意義と学べる喜び』についての洗脳を徹底的にした方がいい。
自分から勉強って楽しい!とか、この学校に入りたい!将来この職につきたい!みたいな目標がないと、なんで貴重な時間を使ってこんなつまらんことしないといけないねん。という状態に陥ります。担任の先生が好き!とかがあればモチベーションUPの裏技になりえましょうが、いかんせんそんな逸材はいないし、例え出会えたとしても長く続くものではない。どうすればいいのか。
勉強できなくても幸せにはなれると思いますが、出来た方が人生において有利な場面が多いことは事実でしょう。
振り返れば、僕が勉強をするためには目的意識が必要だったのかなと思いますね。
将来の夢はなんですか
幼稚園児の頃から「将来の夢はなんですか?」って質問を何度も投げかけられた気がします。あの質問には当然意味があったのですが、僕はそれにまったく真剣に向き合っていなかった。
「普通の暮らしがしたい。」だの「犬と暮らしたい。」とか回答していました。あのね、そういうことじゃないのよ。
もっとね、政治家になって国を動かしたい!とか、お医者さんになって命を救いたい!
、弁護士になって困っている人を助けるぞ!とかいった大望があれば違った動きにもなったんでしょうけども。いかんせん思わなかったんですよね。こればっかりは誰かに与えられるものでなく、自分の本心から出てくる望みじゃないと意味がないですからね。
ちゃんとなりたい自分を持っているか、これは野望やハングリー精神の醸成に繋がってきます。なりたい自分を早期に設定するため、「将来の夢はなんですか?」という質問には幼児の頃からゼロベースで真剣に考えて回答するべきです。今後の活動方針に影響していきます。
スポーツ選手になりたい!それも一見すると勉強は関係ありませんが、本気なら一生懸命練習をしないといけません。努力する方法を身につけられるという点ではきっと進路を変えることになってもプラスになるはず。ボーイズビーアンビシャスとはよく言ったもんだ。ほらね、俺はアンビシャスの綴りもわかりませんよ!
そして設定した目標、つまり夢がちゃんと勉強に分かりやすく繋がっているかも大事ですかね。弁護士になりたい!と漠然と考えても、どうすればなれるのか道筋を調べないと勉強しないとな!という発想に繋がらない。
夢を持つこと、そして情報収集をすること。この2点が伴って初めて自分から前向きな気持ちで机に向かうことが出来るのでないかと思います。だからキッザニアは国の未来をも育てる素晴らしい施設ですよ。行ったことないけど。
え?ところで30歳を超えてお前の夢や目標はなにか見つかったかって?
まぁ、普通に犬と暮らしたいですかね。
おじーでした。
今週のお題「試験の思い出」