街の地蔵に手を合わせる爺さん
街を歩いていて「あっ、この人かっこいいな」って思うことってありますよね。皆さんどんな人に感じます?やっぱモデル体型のイケメンですか?
僕の場合は『街の地蔵に手を合わせる爺さん』これですね、圧倒的なかっこよさを感じます。別に爺さんに限定しなくてもいいんだけどね。
先日も見かけました。途中までどこの街にもいるような、なんの変哲もないランニング爺さんだったんですけどね。ふと走る足を止めたと思ったらおもむろに地蔵に向かって合掌し目をつむっているじゃないですか。
やだ、激シブなんですけどぉ…ってなりました。
並みのランナーなら一度走り出したらなるべく足を止めないようにするじゃないですか。人によっては信号待ちですら走るフォームを崩さなかったりもありますもんね。
そこを爺さんは止まり、そして祈りですよ。
一体なにを祈るんでしょうね。ランニングの安全だろうか。それとも今日も元気に走れていることの感謝を伝えているのだろうか。インタビューしないと真相はわかりません。
なんにせよ信心深いんだなーが珍しくプラスに作用する場面ですよね。逆に言えば信心深さがプラスに作用する時ってお参りの時くらいですよね。
きっと自分だけで完結する行為だからだと思うんですよ。
日本で普通に暮らしていると『宗教』って単語なんて聞くだけでちょっと構えちゃうじゃないですか。
道を歩いていたら唐突に声をかけられて、今幸せかどうか不躾に確認されちゃうみたいなことありますもんね。お兄さんいいオーラがどうのこうの言われてさ。あとは全然関係性薄い人から急に食事に誘われるとか。
ほんでこっちがキッパリ断らずモゴモゴ言ってたらもう大変ですよ。いつの間にか幹部みたいな人の前に連れて行かれて謎理論をすごい勢いでぶつけられて、根負けするんです。なし崩しにそのままなんちゃら教の一員になった俺は金目の物を全て絞りとられて生活に困窮しちゃうわけですね。おっかない。
俺の信じるものは俺が決めんねん!今のところは敬虔なPlayStation神教じゃボケ!とかも何されるかわからんから怖くて言えないですよ。
だから、基本近づきたくないな、そもそも関わっちゃいけないなって思っちゃう一方で、お参りする人々がかっこよく見えちゃうってのは面白いですよね。
まぁなんというか本来はモラルを高めるはずのもんなんだろうからな。きっと本当は信心深いことは良いことなんだろう。欲とかはなるべく捨てることが良しとされる分野で金儲けしようとするから至極歪になるだけで。
道端の地蔵にお参りしている爺さんってなんかかっこいいよなと思っただけの話。
おじーでした。