今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
今日も今日とてはてなブログの今週のお題に挑んでいきます。
敬老の日があったということで、今週のお題は「おじいちゃん・おばあちゃん」にまつわる話です。
自分が爺さんになったらどんな爺さんになりたいかを色んな爺さんの例から考えていきたいと思います。
1.趣味に生きる系爺さん
エントリーNo.1は「趣味に生きる系爺さん」です。
憧れますよねー。
まだ爺さんと呼ぶには全然早いですが、所ジョージがそんなイメージに近いですよね。
自分の家でやたら本格的なDIYをやったり、野菜を作ったり、ギターを弾いて歌ったり。僕はギターはやりませんが。
あとは飼い犬と遊んだりですねー。
シベリアンハスキーを飼うのが夢ではあるので、ハスキーと一緒に日本中を旅したり。
なんと素敵な爺さんライフでしょうか。
ただ趣味はお金がかかるもの。趣味に生きる系爺さんには十分な蓄えが必要かと思います。
この道を選ぶには、これから一生懸命働かないといけませんね。
2.物知り系爺さん
Yahoo!知恵袋とばあちゃんの知恵袋という話はよく聞くが、爺さんの知恵袋とは聞いたことがない。
爺さんは知識量で婆さんに劣るのか。
そんなことはない。
物知り婆さんより物知り爺さんの方が語感的にはマジョリティな気もする。
孫が何を聞いてきても物知り爺さんは正確な回答をしてしまう。物知りだから。
歴史からその地の風俗について深い造詣を持つ。
国にデジタル庁なんてもんも出来たので、これからの時代はそれだけではいけない。
プログラミングの技術やSNSとの正しい向き合い方まで、物知り爺さんは教えてくれる。
物知り爺さんは知識の泉だ。
目指すには生涯学習の覚悟が必須ですね。
3.紳士系爺さん
はい、出ました「紳士系爺さん」です。
ハットにステッキはやりすぎでしょうか。それでも常にウールのジャケットは着こなす爺さんですね。
白いヒゲを備えることも必要でしょうか。
時折、爺さんが煩悩にまみれていましたといったニュースを見るとものすごくやるせない気持ちになりませんか。
人間的に成熟した爺さんは何事に対しても紳士であって欲しいものです。
公園のベンチで隣に婦女子が来たら、下心は0、親切心100でベンチにハンカチをすっと引いてあげる系の爺さんになれたら、それは素晴らしい人生を送ってきたんだと言えることでしょう。
趣味は紅茶を飲むことですかね。やっぱり紳士を目指そうとすると英国寄りになってしまうのか。
じゃあ和風な紳士とはなんだろう。ハゲにヒゲで着物か。
いや、見た目は関係なくて内面の話なんですけどね。
和風紳士は花見をすると言っても俗物のように桜の名所で酒を飲むのではありません。
近場にある1本の桜の木を見ながら1人で空に向かって「婆さんや、今年も綺麗に咲いたぞ」とかボソっとつぶやきます。今決めました。
紳士系爺さんへ進化するには人格を磨く必要がある。
ある意味で趣味に生きる系爺さんや物知り系爺さんよりも難しく険しい道のりかもしれません。
4.頑固系爺さん
頑固だけど、根は優しくて、隠しきれていない系爺さん。
事あるごとに息子とぶつかっていたけど、それは愛情の裏返しで、最終的には「親父…ありがとな」って言われるような爺さん。
白髪で角刈り。
角刈り人口が減って絶滅しそうです。
30年後にはツーブロックの爺さんが大量に生まれているので、その頃に新しい〇〇系爺さんが生まれているかと思います。
5.豪胆系爺さん
リアルに「ガハハ」と言って笑う爺さん。
爺さんなのにロン毛でヒゲ。
肉と酒を愛する。
口癖は「ガハハ!ぼうず!気に入ったぜ!」
かっこいい。
6.仙人系爺さん
俗世間から離れて、町外れ、できれば山の中に住んでいる系の爺さん。
動物と心を通わせることができ、絶滅したと思われているニホンオオカミと友達で人は嫌い。
実は過去は大企業の重役だったり、国の要職だったりする。
しかし人の世の汚さに触れ、突如政界を引退。山に小屋を作って1人で住み始めた。
ヒゲ。
ふもとの村の人たちは彼の過去を知らないので、ただの変人だと思っている。
ある日、ニホンオオカミ目撃の噂を聞いた若い動物学者の青年が仙人系爺さんの元へ訪れる。
爺さんは帰れと言うが、青年は爺さんが何か知っていると睨み、爺さんの元で暮らし始める。
そして爺さんと青年の奇妙な物語が始まったのである。
7.量産系爺さん
そこら中にいるようで、どこかみんな違う系の爺さんたち。
量産系爺さんたちに触れると、同じ爺さんは1人もいないんだなーと個性について考えさせられる。
一見同じ爺さんだが、いい爺さん、悪い爺さん、ポジティブ爺さん、踊る爺さんに歌う爺さんと色々いる。
僕の行く先。
みんななりたい爺さん像を抱えて、その方向に進んでいけばいいとも思うし、今を一生懸命楽しんで、その先に待っている爺さんの自分を受け入れるのもいいと思うし。
もう自分が何を書いているのかもわからなくなってきているし。
未来のこと、成長のことを考えるのは難しい。
ただ敬老の日と言うけれども、老いた人を無条件で敬わんといけないなんて1ミリも思いません。
敬老の日に誰かから敬うとまでは言いませんが、ちょっと気にかけて貰えるような老い方をしていきたいなというのは漠然と思います。
おじーでした。