おじ語り

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春泥棒が美しすぎて凹んでいる

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ヨルシカの春泥棒を聴きつつ春とお別れ

今日も今日とてSpotifyを聴きながら通勤。

ちょっと後悔しましたよ。
なんで俺は先月ヨルシカの『春泥棒』を鬼のように聴いていなかったのかと。

なんという美しい歌か。

すっかり夏になりかけている街を眺めながら運転をしていましたが、なんだか桜吹雪が見える気がしました。

世の中「熱い夏が始まる!」とか「夏が終わってしまう…」とかやたら夏ばかり礼賛するじゃないですか。
なんでみんなあんな地獄のような季節をチヤホヤするねんって話ですよね。

その一方でこんなに春を、桜を愛し、名残惜しそうに歌った綺麗な歌があったかね!

そう思いながら午前の仕事を終えて今この投稿をしようと思って、Youtubeの楽曲ページを開いた時の衝撃よ。

命を桜に喩えます。

だって!完全にやられた。

午前中までめっちゃ春が大好きな人が作った歌だと思っていたのに。

この一行で全然意味合いが変わってしまいました。

あともう少しだけ。
もう花1つだけ。

切ない。泣いたね。

今日も会いに行く、明日も会いに行く。
桜にそんな言い方しないもんな。

春大好きな歌じゃなくて、もっとスケールの大きいお話でした。
無常観が詰まってるわ。サビの入りのピロロ〜って笛がめちゃめちゃ良いもの。

でも俺もいつになるかわからんけども、名残惜しくて仕方ない桜吹雪みたいな散り方したいもんだとも思いました。

もうすっかり街の桜は緑一色だけども、しばらくリピートしようと思う。
めっちゃいい曲。

おじーでした。