おじ語り

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驕る人と奢られる人は紙一重

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燃ゆる男性が奢るべき論

定期的に語られるテーマですね。デート代は男性が負担するべきだというやつ。最近もTwitterではかなり論争が盛り上がっているようで、僕も流れてくる情報から双方の言い分をふんふんと眺めていました。

こんなのはね100%、全面的に男性側の言い分が正しいですよ。

『男性が奢るべき』という女性の論調は物事を自分軸でなく、他人軸で語っているから反感を買ってしまうんですよね。聞いている側は俺の財布の使い道を決めるのは俺であって他の誰かじゃない!ってなっちゃうんです。当たり前のことだけど。

逆にね、同じ主張を自分軸で言い直せばむしろかっこよく見えると思うんですよ。「男が払うべき!」じゃなくて「私は払わない!」って責任持って言えばいいの。

強制されるストレス

どこのご家庭にもこんな一コマがあったと思います。

「たかしー!はやく宿題しなさい!」

「あぁん!今やろうと思ってたのに!母さんに言われたらやる気がなくなったよ!」

たかしが本当に今やろうと思っていたかは別として、たかしの発言は実に人間の本質を突いていますよ。人は誰かに強制されるとやる気が萎んでいくもんです。好きなことを仕事にしたら楽しめなくなったなんて話は世界中にゴロゴロ転がっています。

じゃあ逆にどういう時にやる気が出るかというと、好きなことや目標に向かって自発的に動いている時なんですよね。「東大に行きなさい!」より「東大に行きたい!」の方が人間頑張れるものです。

つまり「男性は奢るべき!」と強制されると男はみな「あぁん!今奢ろうと思ってたのに!言われたら奢る気がなくなったよ!」となっちゃうわけ。子どもも大人も一緒よ。特に金が絡むとただでさえ複雑なんだから。

私は絶対払わない!というスタンスをとる

じゃあどうすればいいんだ!という話ですが、男が払うべきとか言っている層は、きっとルックスやコミュ力等に自信があってかなりモテる人たちだと思うんです。

だからいっそ他人軸の発言を自分軸まで動かして「私はデート代はぜぇっったいに払わないかんな!」と宣言するのがベストではないでしょうか。その上で私とデートするかどうかはあなたの自由だよと男側にも自由を与えるのです。

なんということでしょう。他人へ支払を強制する驕り人から、人々に自由を与える奢られ人へとシフトが完了したじゃないですか。やっていることは同じなのに。きっとこれならレジの前には支払い待ちのイケメン行列が出来ることでしょう。

デートも支払いも自己決定権の下に成り立ち、誰も文句のつけようのない事柄になりますね。

より良い世界へ

ということで結論が出ました。「デート代は男性が奢るべき」というお前ら○○すべき論を「私はデート代は払わない」という自分の意思表明に変えることで世の中はもっと円滑に回る。相手の財産権と自由意志を尊重するのです。

これは奢られ女子だけに限らず、何事も人のせいにしないという癖をつけるために自分含めて全人類が気を付けるべき事柄だとすら思えてきました。

おい!お前が言っているのも言論の強制だろ!と言われたら返す言葉もないのですが、これは強制ではなく提案ですくらいの言い訳をしておきましょうか。

とかなんとか書いてみましたが、この奢る・奢らない論争ってネット上だけの問題な気もしますけどね。こんなこと言っている女の人ほとんど見たことないですもん。実生活では食べている大人をほとんど見ないきのこたけのこ論争みたいなもんなのかな。

だから男性側もプリプリ怒らない方がいいと思う。もっと世界はいいもののはずだもの。

おじーでした。