朝食にしらす丼とかいう贅沢
今日の朝飯はしらす丼を作りました。作ったと言っても炊きたてご飯にしらすと九条ネギ・卵黄をのっけて醤油でいただくだけですけどね。
全然高い食材を使っているわけではありませんが、見た目にも贅沢感ありますよね。実際一日のスタートとしてテンション上がりましたもん。
ガツガツと食べましたが実に美味しかった。
しかし、しらすを食べるのってなんとなく人間の業の深さみたいなものを感じませんか。
しらすを掻き込む背徳感
しらす丼なんてただでさえペロリなんだけど、卵黄なんてのせて滑らかさをUPさせたらもうそりゃ一瞬で茶碗が空になります。掻き込んでいると言っても良いかもしれない。
で、ふと思うんです。俺は今の一口でいったい何匹のしらすの命をいただいたのだろうかと。
丸ごと食べられるから栄養価も高いし、美味しいってところは多分にあると思うんです。しらす。
でも、しらすって成長したら立派なカタクチイワシになるんですよね。すくすくと育てば15cmくらいになる未来もあったでしょう。
僕が今朝食べたしらす達が仮に300匹だったとして、みんな立派な成魚になれたとしたら全部並べて45mですよ。考えてみたらなんともスケールのデカい話です。スイミーとかの世界観。
そんな未来ある若者たちをかっこんだのです。美味い美味いと。卵黄まみれにして。まるで茶漬けのCMのように。
しらす丼。なんと業の深い食べ物でしょうか。正直、もっと成長してから食えよぉ!って言われたら反論できない食べ物だと思う。
でもしょうがない。美味いからな。考えてみれば人間の食卓ってそんなのばかりですね。
美味いタイミング
仔羊のローストとかあるじゃないですか。羊は歳をとると肉に独特の臭みが出るし、仔羊の方が肉が柔らかいのよって話ですよね。
いや、親羊の気持ちよ!
子供が食われるわ、お前の肉は硬くて臭いだの言われるわで。震える羊に我々はドンメェとしか言えない。
他にも処女牛が美味しいだの、若鶏の唐揚だの。結局未来ある若者たちを一番美味しい美味しい言って食べているわけですよね。
山菜ですらそうですもんね。あんまり育ちすぎると筋張って美味くないって若芽を摘むイメージがあります。
逆に寿命ギリギリまで立派にも生ききった鶏の唐揚げとかあんまり美味しそうじゃないですもんね。入れ歯牛のステーキとか。そこまで面倒見ていたら畜産業の人の資産の回転率も著しく悪化するだろうし。
やはりせっかくだから美味しい時期に食べたい。うむ、人間のなんと業の深いことよ。とか言いながら僕はまた朝食にしらす丼を食べるのです。にんげんだもの。当然仔羊のローストにもかぶりつく。明日にでも食べたい。
おじーでした。